著者プロフィールとブログコンセプトについて

当ブログにお越しいただきありがとうございます。
当ブログ管理人および著者の「ながたっち」と申します。

僕は現在、北関東に位置する栃木県を拠点に、

ライティングやマーケティングのお仕事を行っています。

音楽教室やカフェ、保険会社などのお手伝いをしたり、
起業家やインフルエンサーなどのサポートを行っています。
Web制作チームに入って制作に携わることもあります。

数年前までは東京で活動していました。
現在もたまに東京で打ち合わせやセミナーなどを
させていただくこともあります。

以前サポートさせていただいた電子書籍では
Amazonランキング1位を獲得。
売上数億円規模の巨大Webプロモーションに参加し、
運営や制作サポートに携わらせていただきました。



プライベートでは音楽が趣味で、
数年間ボイストレーニングに通っていました。

著者の写真は初ライブを敢行した際の光景を撮られたものです。
ボイストレーニングに関するブログを運営しており、
こちらでは多くのファンと収益を獲得しています。

もしかしたら、いつかどこかで
披露することがあるかもしれませんね。



また、ご希望者向けにライティングスキルを磨くための
個別ライティングレッスンを開講しています。
ライターとして大成したい方、集客力強化を図りたい方に
再現性の高いアドバイスを提供しています。

2年ほど前に地元栃木に戻ってきてからも
東京のご縁と、栃木で得られた新たなご縁をいただき、
田舎らしいゆとりある生活を送っています。

僕のような生活様式は巷では、
「デュアルライフ」という呼び方をするそうです。



他にも、僕のくらしの一部をご紹介します。

  • 穏やかな気候と喧騒のない環境で仕事をし、
    たまにドライブやゴルフの練習に出かける。
  • LINEでWebコンサル。学生起業家のブログ運営や、
    ライティングレッスンのサポートを行う。
  • 舞台鑑賞やコンサート鑑賞のために東京へ。
    アートに触れて感性を磨く。
  • ライティングの技術を活かし、採用サポートも開始。
    人手不足に悩む中小企業を対象としたWeb戦略を提案。
  • 最近は筋トレにハマっている。
    できることが増えていく快感に浸っている。
  • ムダな干渉と緊張、大衆のノイズに縛られない、
    新しい働き方を心から楽しんでいる。


これらのことが、僕の当たり前になっています。
学生時代の僕では想像できないような経験が、
文章とITのチカラで実現されました。

「シャットダウンの方法すらわからなかった。」

僕がこう振り返っても、誰も信じてくれないでしょう。

始めたての頃は、
わずか1,000文字の記事に3日間費やしたほどで
スキルと呼べるものは何1つ持っていませんでした。

しかし、そんな僕でも
正しい知識と多くの出会いを通じて、
ゆとりある生活を満喫できるようになっています。



今でこそ、こうして偉そうに語っていますが、
ほんの数年前までは誇れるスキルは何1つなく、
自分に全く自信が持てませんでした。

消費者金融を練り歩き、
自宅の電気が止められたこともあります。
数々の請求に怯えきって逃亡を図ったこともあります。

友だちもいない、お金もない、技術もない。

そんな地を這うような状態から抜け出そうと
無我夢中でつかんだのがライティングの道です。
非常に幸運でした。



僕が発信しているこのブログのテーマは、
文章を通じて人の人生を幸せにすること。 です。

僕の文章を読んでくださった人の人生が
少しでも明るいものになれば嬉しいですし、
「文章を書くこと」の喜び・面白さについても
多くの人に体感していただきたいと思っています。

僕の人生は「文章」で救われました。

なので、僕も恩返しとして
多くの人を「文章」で救いたいと思っています。

もちろん、闇雲に文章を書くだけでは
豊かな人生を送ることはできません。

金銭面・精神面・健康面 など

幅広い知識と実行を繰り返す必要があります。



このブログでは、僕が自ら経験したこと、
尊敬する諸先輩方からの教訓や知識を共有し、

「文章を使って人を幸せにしていく方法」

を発信していきます。



ここからは、
僕のことをより知っていただくために
僕の過去の経歴についてお話していきます。

僕がいかに普通の人間であったか、
いや、普通以下の人間であったか
打ち明けていきたいと思います。

少々長い話になりますので
時間がある時にリラックスした状態で
読み進めていただきたいと思います。

本当の友達なんていなかった

正直に白状します。

高校時代の僕は、
人を学歴や見た目で優劣を付ける非情な人間でした。

自分よりバカでブサイクな同級生にはキツく当たり、
自分より優秀でイケメンな同級生には媚を売っていました。

小学校から中学校までの成績は学年上位が当たり前で、
運動神経も中くらいだったので完全に天狗です。

そのため、勉強が苦手で苦しんでいる人を見るたびに
「なんでこいつはこんなこともできないんだろう?」
と完全に見下していたのでした。

そこまで難しくない数学の問題に
頭を抱えて悪戦苦闘している隣の子を見て

「俺は特別な存在なんだ。」
そう確信していたのです。

『井の中の蛙』とは当時の僕のことで、
小さな地元の公立学校の中だけで
みみっちい優越感に溺れていたのでした。



歪んだ思考はエスカレートし、
クラスメートの教科書を隠したり、
通学カバンを校舎の外に放り投げたりするようになります。

クラスメートの思慮の浅い行動が許せず、
「教育」と称して罵声を浴びせた経験もありました。

ドン引きする女子生徒と、面白がって手を叩く男子生徒。
参考書を黒板に投げつけたときの当時の張り詰めた光景は
今でも忘れることはありません。

そして当時の僕に罪悪感はこれっぽっちもなく、
『上位にいることの優越感』を抱いていたことを
あわせて白状します。



・・・そんなプライドの塊のような僕に
天罰が下ることになります。

最後の春に入院。転落の始まり

4月末。バレーボールの部活動中、
右の股関節に痛みが走りました。

整形外科にいくと
「骨嚢腫(こつのうしゅ)」
と診断され即入院。

大腿骨のボールの部分が
スポンジのように空洞になっていて
疲労骨折ギリギリ手前の状態でした。

ゴールデンウィークと重なったため
手術日が1週間ほど延期されました。
このときほどゴールデンウィークを恨んだことはありません。

無事手術を終え、リハビリを重ねて、
退院できたのは7月でした。

そんな初めての入院生活を経験したことで
僕はある事実に気づいてしまったのでした。

退院まで、クラスメートが誰一人来なかったことです。
メールも空っぽ。着信履歴もなし。

生意気な言動を繰り返していたのですから
当然の報いです。来るはずがありません。

松葉杖と仰々しい装具をつけて
初めて学校に復帰したときでさえ
(あ、戻ってきたんだ。)
というような緊張した雰囲気。

久々の学校で、僕がどう接したら良いか戸惑っていたように、
周りの人も、僕とどう接するか考えているようでした。

クラスメートたちは本当は優しい人たちで、
階段の上り下りは手伝ってくれて、
支えてくれる人もたくさんいました。

それだけに、僕がこれまでやってきた
浅はかな言動が恥ずかしくなっていき、
自尊心が崩れ始めていました。

バレーボールの最後の試合は当然出られず。
おまけに学力にも差が出ていたので、
優越感に浸れる要素が完全に消滅していきます。



センター試験は惨敗。

おまけに
両親に頭を下げて一浪して
大宮の予備校にも通ったにもかかわらず
二度目の試験も振るわず。

1回目とほぼ同じ点数で
自己採点した夜は過呼吸を起こしたほどです。

結局、東京都内の専門学校に通うことになるのですが
そのタイミングの3月に大きな出来事が起こります。

震災。人生の岐路に立たされる

2011.3.11

その瞬間は、栃木の実家にいました。

本当ならその日は東北の大学で
2次試験を受けているはずでした。

やる気がなかった僕は行く気になれず
自分の部屋で悶々としていたのです。

栃木の自宅でも多くの食器や家電が壊れ、
停電や断水になりました。



一夜明けて午後になると電気が戻り
テレビをつけて惨状を目撃したのでした。

あまりの衝撃で、言葉が出ず、
そして何もできない自分をひどく悔やみました。

多くの芸能人や経営者が物資を送ったり寄付をしたり
ボランティアに参加している様子を見るたび、

(自分はなんて無力なんだろう。)
とショックを受けました。

同時に、
『自分にも多くの人を救える力がほしい。』

自分のことしか見えていなかった自分に
他人を思う気持ちを与えてくれた
大きなキッカケとなったのです。



でも、当時の僕には何もありません。

お金もなければ人脈や人望もない。
ボランティアに参加する勇気と行動力もない

そんな僕に1つだけ残っていた可能性が
文章でした。

なぜ、僕と文章が結びついたか?

それは高校1年生の頃にさかのぼります。

実は
「俺は特別な存在だ。」と思い込んでいたのには
もう1つ理由がありました。

当時担任の先生だった国語の先生から
文章をベタ褒めされていたからです。

学校から配られる「HRノート」というのがあって
そこに近々の予定や重要事項、
加えてその日の感想を記入する欄がありました。

小さな枠に4行程度。
ちょうどTwitterの140文字くらいかもしれません。

「自然あふれる公園というけど、
ほぼ人間が管理してるんだから自然ではないだろう。」

こんな屁理屈で皮肉たっぷりのコラムを
毎日コソコソ書いていたところ、
担任の先生に発見されてしまったのでした。



挙句の果てに、その先生は
帰りのホームルームで僕をベタ褒めすると、
僕が書いたコラムをプリントアウトして
クラスメート全員に配布したのです。

1つずつ読み上げられる僕のコラム
反応がわからないクラスメートの背中。

ノートの片隅にこっそり描いていた
好きなアニメキャラの絵をバラされるようなもので
死んでしまいたいくらい恥ずかしかったのを覚えています。

ただ、死ぬほど恥ずかしかったものの
先生がやたら褒めちぎってくれたことと
女子からは思いのほか好評だったので
じわじわと自尊心がくすぐられたのでした。

(自分は文章がうまいと言われていたじゃないか。)

恥ずかしさで隠れていた記憶が戻り、
僕の生きる道が見えてくるようになったのでした。

それでも僕は就活を経験した

3月にライターに興味を持ったものの、
4月には東京の専門学校に普通に通い、
日商簿記などの資格を取るため頑張っていました。

文章は多少うまいかもしれないけれど
いきなりライターとしてやっていけるイメージもなく。

現在のようなクラウドソーシングもなかったので

就職→お金を貯める→脱サラ→ライター

こういうザックリしたビジョンを描いていたのでした。

2年制の専門学校は1年目の冬から就職活動が始まります。
この就職活動で厳しい現実に直面します。



広告代理店や出版社などは
ほぼ大卒を募集していたため
書類選考が通りませんでした。

また、その他の会社でも
「将来はライター業を興したいんです。」
と正直に打ち明けていたことと、

持ち前の人見知りが遺憾なく発揮されたことで、
2年目の8月まで全く面接が通らず。

早々に内定を取った友だちが
女の子とプールでイチャイチャしている中、
僕は新橋のビル街でワイシャツを汗で湿らせ、
入りたくもない会社に面接に行っていたのでした。

(どうにかして内定を取り、
学生生活最後の夏休みを満喫したい!)

(ついでにイチャイチャしたい!)

こうした下心がグツグツと沸き立っていた僕は、
新たな解決策を見いださそうとネットを頼りにします。

当時はSNSとして流行していたmixiです。
アレコレとコミュニティを巡って、
自分の人生を変えるチャンスを探したのです。

騙された。2週間で19円の投資塾

・・・あの頃を振り返ると、

mixiから初めてリアルで出会った人が
良くも悪くも僕の歯車を壊したんだと思います。

その彼とはmixiでたまたま出会って
ダイレクトメッセージをやり取りして
同年代で同じ都内に住んでいることがわかり
週末に会うことになったのでした。

当時の僕は就活に絶望してましたし、
なんとなく話もあったりしたので
ほぼ気晴らしで会おうとしたのです。



・・・気がつけば、

新宿アルタの裏にあるカフェで少しお茶していると、
「ビジネスに興味ない?」
と聞いてきて

素直に「ある」と答えると
5分後くらいに彼の先輩がやってきて
投資塾の説明をしてきて

「すぐに元は取れる」と
消費者金融で30万円を作り、
投資塾にサインとお金を渡していました。

・・・当時の僕は本当にチャンスだと思っていて、
教えてもらえていた投資の方法に
懸命にくらいつき愚直に実践しました。

新宿三丁目にあったオフィスビルで
毎日のようにパソコンで作業。

パーティションの向こうには
僕以外にも”生徒”がいたようですが
会話をしたことはありません。

そして、2週間後。収益は19円でした。
アルバイトした方が堅実です。

講師と見られる人には「これからだ!」と
背中を押されましたことも違和感がありました。

(騙された。)

どうにかして30万円を返済するか
教室から取り戻すしかありません。

家賃も何度か滞納するようになり、
電気がつかなくなったこともありました。
納豆と豆腐とご飯で食いつなぎ、
体型もかなり痩せ細っていきました。

テレビも冷蔵庫もゲーム機も泣く泣く質に出したものの、
1ヶ月も暮らせないような金額にしかならず、
それでも少しでも足しになればとサインしました。



・・・そんな絶望の淵にいた頃に、

再びmixiでダイレクトメッセージが来ます。

もう1人の彼が、
僕をライターの道に導くことになる運命の人でした。

ながたっち、コピーライターと出会う

下北沢のカフェ。

古着を全く着ない僕にとって
初めての下北沢。

出会ったのは、Web広告を中心に活動する
コピーライターの方でした。

見た目はスラッと長身で、黒縁メガネを掛けて
パソコンを叩きながら論理的にしゃべる様子は
絵に描いたようなインテリ。

コピーライターと名乗らなければ
大手企業などにもいそうな普通のエリートでした。

(コピーライター?映画広告とかの人?電通?)

僕には当時、
このくらいの知識しかありませんでしたが
話を聞いてみると、

飲食店やエステサロンなどのオーナーや企業向けに
集客や販売を目的とした
”セールスコピーライティング”
を生業としているとのことでした。

セールスコピーライティングを聞いた瞬間に、
少し「売られる!」と予感したんですが
そんな気配もなく自分の仕事について
詳しく話してくださるのでした。

しかも、

どういう媒体で、どういう仕組みで
文章を仕事にしているのか
包み隠さず教えてくれたのです。

めちゃくちゃ怪しかったです。
でも、ウソとはとても思えませんでした。
投資塾とは違い、明らかな証拠と
実感のこもった言葉が聞けたからです。



当時僕が21歳で、その人が26歳くらいでしたから
近いようで遠いような存在に見えました。

文章を仕事にしていて
しかも同年代のサラリーマンよりも
多くの収入を得られている人
に、僕は初めて出会ったのです。

確かに遠く先にいる人ですが
僕の未来の延長線上にいる気がしてなりませんでした。

(俺も、こんな風に仕事がしたい!)
(自分にも自慢できるような武器が欲しい!)
(この人から学んでみたい!)

こんな気持ちがフツフツと湧き上がり、
頭を下げて教えてもらうことにしたのでした。

これが忘れもしない、2012年10月21日のことです。

自分の文章で、夢が叶っていく

これまで受けてきたどんな企業よりも
目の前のコピーライターの方が、はるかに魅力的でした。

目は少年のように輝いていましたし、
何より楽しく仕事をしながら
経済面も充実していたからです。

一方で、就活中に出会った方の多くは
残念ながら目や顔に疲れが見えていました。

僕の5年後10年後20年後が
この人たちのようになるのかと想像すると
同じ道をたどりたくない、と思ってしまいます。

僕が歩むべき道は明らかでした。



師匠から教えていただいたことをアメブロで実践し、
少しずつファンを増やせるようになりました。

着実に実力がついていくのがわかり
少しずつ自信をつけていくことができました。

ありがたいことに「ためになりました!」などの
あたたかいメッセージをいただけることもあり
折れかけた心を立ち直らせることができました。



かんたんな記事作成のお仕事をもらったり、
雑誌の飲食店取材を経験したり、
貴重な経験をたくさんさせていただきました。

初めて雑誌の記事を書いて
僕の名前が執筆者として掲載された時は
涙が出るほど嬉しかったことを覚えています。

小さな一歩でしたが、

自分の文章を通じて誰かのお役に立てたこと。

夢の1つが叶った瞬間でした。



僕が学んできたのは文章の技術だけではありません。

文章を価値につなげるためのマーケティングや
よい仕事を得るためのビジネスの基礎も学び、
1年ほどで優秀なサラリーマン程度には
収入をいただけるようになりました。

自分の得意なスタイルで正しく価値提供をしていけば
たくさんの人に社会貢献でき、結果を残せること。

正しい知識を得て、行動し続けること。


これらの教えを実体験を持って教えていただきました。



さらには
飲食店の集客コンサルティングや
インフルエンサーのSNS代行
WEBサイト運用や地方の町おこしなど、

コピーライターの枠を飛び越えた活動も
ご縁をいただき経験できました。

加えて、師匠を通じてありえないような偉大な人たちを
お会いできる機会をいただきました。

”月収”が3000万円を超えシンガポールで活動する社長さんや
20代で清掃業と介護施設を運営し早々にリタイアした方や
自身の重い障害を乗り越えながら事業をしている社長さんなど


結果だけではなく人柄や生き様まで
めちゃくちゃにカッコイイ人たちと
一緒にお仕事させていただきました。

金融商品や怪しいことで儲けたのではなく
多大な社会貢献を重ねて富を築き上げた人から
まっすぐな姿勢を体感できたのは大きな財産です。



僕はビジネスをしたいと思っていたわけではありません。

なんにもない自分が嫌で
自信が持てるようなスキルが欲しいがために
コピーライターの門を叩いただけ
です。

それが、大きな技術と出会いをいただいたことで
それまでの自分では考えられないような世界を
体感することができました。

非常に幸運なことだったと思います。



・・・そして、最近は地元の栃木県に戻り、
生まれ育った土地への恩返しと
新しい仕事のスタイルを確立すべく
毎日文字をタイピングしています。

東京では当たり前だったことが
地方ではまだまだ浸透していない例もあり、
非常にやりがいを感じています。

現在でも何度も失敗しますが、
成功のための布石だと確信しています。

『文章を通じて人の人生を幸せにすること。』

シンプルな信念を、様々な分野で
応用していこうとしています。
たくさんのアイディアがわいているので
毎日刺激的でエンターテイメントのようです。

この喜びを、多くの人に伝えていきたいと思っています。

このブログでお伝えしていくこと

だいぶ長話になってしまいましたが
この段落で最後です。

あらためてお伝えすると、
このブログで発信する内容は

『文章で人を幸せにする方法』です。

ただ単にお上手に書くだけではなく
僕たち人間が持っている性質などもふまえて
様々な観点から文章を磨く方法をお伝えします。

もちろん幸せになるのは
読んだ相手だけではなく書いた本人もです。

読んだ人がホッコリしていても
書いた本人が困窮しているのでは本末転倒です。
読み手も書き手も幸せになる方法を発信します。



僕は特別な才能があったわけではありません。

目立つような賞を受賞したこともなければ
メディアの取材を受けたことは(まだ)ありません。

僕の良いところを引き出してくれた多くの人に恵まれ
それに応えようと動いてきただけです。

非常に幸運でしたから、
この運を僕でせきとめるわけにはいきません。

僕が多くの人からいただいてきた幸運と知識を
あなたにも渡していきたいと思っています。

文章で生きることの面白さを、
あなたにも実感していただきます。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よかったらぜひ他の記事も読んでいってください。

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